「久我」という苗字、「ジャズミン」というお名前・・・。実はこのご家族の出身は、日本から遠くはなれた南米ペルーなのです。お父さんの久我アレキサンデルさん(以下久我さん)もその1人。久我さん(53歳)のおじいさんもその昔、新しい生活を求めてはるばるペルーの地へと旅立ったのでした。
それから時が流れペルーは経済状態がずいぶんと悪くなりました。久我さんは高校の教員や大学のカウンセラーとして働いていたにもかかわらず、暮らしていくのが厳しくなってきた頃、日系人なら日本で定住ビザが取れ、働けるということを知ります。愛知県で自動車関連の工場での職が見つかりビザを取ることもできることがわかりました。
家族と相談し、まずは久我さんが来日。その後、ソフィアさんも日本で働くことを決め、改めて来日。残された3人の子ども達、ジャズミンさんたちはその1年後に日本の両親に迎えられることとなりました。
愛知での5人そろっての生活が3年ほど続いたとき、淡路島での仕事の情報が入りました。自然や田舎が好きだった久我さんは、家族と淡路島へ移住することを決めました。1999年夏、久我ファミリーのあわじ暮らしのスタートです。
久我さん夫妻は淡路瓦の工場で働き、ジャズミンさんとデニッセさんは地元中学校、サンちゃんは小学校に通い始めました。
高校進学を控えたジャズミンさんにとっては将来が見えず不安や悩みの多い時期でした。それでも努力し公立高校に通うことができたジャズミンさん。そこでは一生の友達もできました。披露宴での友達からの祝辞や友達へのお礼の言葉・・・そこには国籍の違いなどものともしない深い友情が示されていました。
明るく陽気、そして温かい久我さん一家を見ていると、家族の絆の深さをとても感じます。
取材日:2011年02月08日