移住者ブログ

はじめましての自己紹介~東京→島根→淡路の軌跡~

はじめまして。
今月からブログを書かせていただくことになりました、土中 杏美(どなか あみ)です。

淡路島には2021年10月に移住してきて、12月に妊娠→2022年7月に出産をし、今は、夫と1歳になったばかりの娘と3人で2LDKの賃貸マンションで暮らしています。

私たち夫婦は、淡路島よりも小さな島から移住してきました。

移住者の多くは「自然」を求めて移住されると思いますが、私たちの場合は「都会」を求めて淡路島へ来ました。

大都会のようにゴミゴミしていない中で、便利さを享受したり、クリエイティブなものやエンタメに触れたりできる環境が私たちに合っていると感じています。

このブログでは、淡路島での生活ぶり、子ども(赤ちゃん)連れでのお出掛けなどを書かせていただこうと思っています。
どなたかの参考になったら幸いです。

今回は自己紹介がてら、淡路移住に至るまでのことを書いてみようと思います。
長くなりますが、お付き合いください。

2016年ー東京に疲弊して脱出ー

わたしの実家は東京で、祖父母はみんな神奈川県在住。
都会での生活しか知らず、都会で生きることが幸せに決まっていると信じて生きていた、生粋の都会っ子でした。

でも本当は、満員電車も街の人混みも大きな音も流行を追いかけることも大の苦手。
混む電車は徹底的に避けて、意識を極力外に向けないようにして、耳をイヤホンで塞いでいないと、とてもじゃないけど毎日を過ごせませんでした。

24歳のとき、このまま人生が進んでいくことが怖くなって「何かを変えないといけない」という強迫観念に襲われました。

そして、「今までやったことなかったことをやってみよう!」と思った私が取った行動は、カンボジアへひとり旅することでした。

友達がたくさんできて、毎日みんなと観光♩知らない人たちと密な時間を過ごすのも新鮮でした!

初めてのひとり旅。
なんとなく導かれるままに向かったカンボジアで、私の価値観は思いっきりぶっ壊されることになったのです。

“カンボジアに”というよりも、
“カンボジアで出会った日本人たちに”。

今まで出会ったことがない価値観の中で生きている人との出会いで「こんな生き方が本当に許されるんだ…!しかも幸せそう…!」と衝撃が走ったのを覚えています。

そのカンボジア旅を機に、わたしの考え方、ものの見方がどんどん変わっていきました。

このあたりの詳細は長くなるので省きますが、その後、26歳で会社を辞めて、カナダに2ヶ月滞在後、ハワイのカウアイ島で1ヶ月間ヨガとアーユルヴェーダについてみっちりと学びました。

生きる上で大切なことをたくさん教えてもらいました。

2017年ー初移住で初ひとり暮らしー

カウアイ島から帰国後、
「もう東京では住み続けない」と決めていた私は、すぐさま移住先探しをはじめました。

「海の近くで暮らしたい」という夢があったので、海をキーワードに何ヶ所か視察に向かい、最終的に選んだのは、島根県隠岐の島町でした。

縁あって一度遊びに行ったことがあったのですが、そのときに見た(というよりも”会った”という感覚でした…)杉のご神木が忘れられなかったことが決め手となりました。

移住にあたって家と仕事が必要だったので、地域おこし協力隊に応募し、合格!

なんと、私を呼んでくれた(と勝手に思っています笑)杉の木がある集落に住みながら、その集落の地域活性化を担うことになったのです!
「これは、私のために用意された仕事だー!」と思いました。

私を隠岐に導いてくれた乳房杉。

古い家で、初めてのひとり暮らしのはじまり。
ムカデが出たり、雨漏りがしたり、水道管が凍結したり。
約10年のペーパードライバーから車デビューを果たして移住早々ぶつけたり。
ご近所さんから、サザエにイカにメカブにお魚、季節の野菜など、大量のお裾分けをいただいたり。
(最初は、大量のメカブやサザエをどうしていいか途方に暮れ、魚も捌けず苦戦していましたが、やるしかない状況に置かれて何でもできるようになりました!)
お隣さんやお向かいさんには、まるで親のように頼らせてもらったり。
コツコツと小さな畑やアジ釣りをしながら、自分で食料を調達する歓びを味わったり。
仕事では、地域の方々との価値観の違いや物事の進みが遅いことに戸惑ったり。

初めての田舎暮らしの酸いも甘いもは、隠岐の島ですべて経験したんじゃないかと思います。

家から海まで徒歩3分でした。(写真:Takuya TOMIMATSU)

そして、3年間の任務を終え、協力隊退任後の目標としていた「ヨガとアーユルヴェーダのリトリート民泊」をオープン!!!

…するはずだったのですが…。

2020年4月~7月ーコロナ禍で事業撤退ー

私が退任したのは、ちょうどコロナが猛威を振るい出した頃。

古い家をちまちまDIYして、初めて融資を受けて、着々と準備を進めていた矢先のことでした。
民泊が出来る状態ではなくなり、大家さんからは「家を出てほしい」と言われ、あえなく事業を撤退することになりました。

3年間準備してきたことが出来なくなり、新しいことも大きくは動き出せない状況に陥り、悶々とした日々を過ごすことに。

夫と生活を共にし始めていたので、生活面で困ることがなかったのだけが唯一の救いでした。
もしも当時、私がひとりだったら、実家に帰るという選択肢しかなかったと思います。

「何か出来ることをしよう!」と夫とお弁当やベジバーガーを販売!いい思い出です。

生活に困っていなかったとは言え、やりたいことが出来ない状況や狭い島の中での噂話にストレスを覚えた私は、「また環境を変えないとダメだ」と思うようになりました。

地域おこし協力隊の間は、他の地域の協力隊員をはじめ、夢を追うたくさんの方との出会いがありましたが、それが無くなってしまったことも、私にとっては辛いことでした。

でも、結婚を控えている夫は、島の中でも大切な事業を担っている米屋の息子。

夫は隠岐の島に残らないといけないよな…と思いながら、「私ひとりでも、1年以内に島を出たい」と伝えました。

夫はもちろん驚いていましたが、数日して、「一緒に移住できるようにしよう」と言ってくれました。
きっと、ひとりで色々と考えてくれたんだと思います。
「自分も、思い描いていたやりたいことに挑戦してみたい」という前向きな言葉を聞いて、とても嬉しかったことを覚えています。

現在、夫は米屋の仕事をリモートで出来る範囲で続けながら、自分の夢に向かって勉強を頑張っています。

2020年8月ー淡路島に初上陸ー

そして、私たちの移住計画がスタートしました。

まずは“島根と東京の中間=関西圏で、隠岐の島よりも都会で開けているところ”を条件に移住先探しを始めました。

そして、何の気なしに地図を眺めていた時、淡路島が目に留まり、ビビっときて夫に「淡路島よくない?」と提案。

夫もすぐに「よさそう~!!!」という反応で、とんとん拍子で視察を兼ねた旅行へ行くことが決まりました。
(そのときのことは次回のブログでご紹介しますね!)

実際に訪れてみたら、「え、思った以上にめちゃよくない?」とふたりの意見が一致!
淡路移住を具体的に進めていくことになりました。

西海岸沿いのあるお宿「梅木屋」さんの前で♩

2021年5月~8月ー移住準備のために大阪滞在ー

2021年度から夫婦そろってリモートでの仕事へ切り替え、まずは大阪に短期滞在しながら淡路の家探しをすることにしました。
(ちょうど大阪で行う結婚式の準備を始めるところだったのと、Airbnbでちょうどいい物件がなかったので、神戸ではなく大阪滞在にしました。)

「とにかく淡路は今、家がない!」と言われまくっていたので、「家が見つからなかったら”縁がなかった”ってことで諦めよう」とすら思っていましたが、無事に賃貸マンションに住めることになりました。
(家探しについても、次回のブログで書きますね!)

そしてついに、2021年10月に洲本市に引っ越しを果たしたのです!

妊娠・出産も経て、生活に変化はありましたが、どのフェーズでも、私たちにとって”ちょうどいい暮らし方”が出来ていて「淡路にきてよかった~!」と、心から思っています。

安産祈願もしていただいた伊弉諾神宮にて。隠岐と淡路の繋がりも感じます。

 

淡路島のどんなところがよかったのか、こちらのブログで少しずつご紹介させていただきますね!
これからよろしくお願いします<(_ _)>

 

《お読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、私たちが淡路移住をどのようにして叶えたのか?を書かせていただきます。》

この記事を書いた人

土中杏美

土中杏美

1990年生まれ。実家は東京。大学卒業後、OLを経て東京脱出。1ヶ月間、カウアイ島でヨガとアーユルヴェーダを学び、帰国後は、海の近くで暮らす夢を叶えるために島根県隠岐の島町へ移住。3年間、地域おこし協力隊として「関係人口創出」のためにあれやこれやと奔走しながら、副業でヨガレッスンと民泊営業を行う。退任後、コロナ禍突入で事業撤退、そして結婚。夫とふたりで"自分たちらしい暮らし"を求めて淡路島へ移住。移住後すぐに娘が生まれ、家族3人海のそばの賃貸一軒家で暮らし中。

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