こんにちは。
東京から淡路島に移住して4年目の小林です。
2026年が始まり、淡路島もだんだんと冷え込み、外に出るのが億劫になる日が増えてきました。わたしが住む竹原集落は標高が少し高いこともあり、冬の朝は路面が凍結することもあります 。

先日、そんな冷え込みが予想される前日に、近所の方々と一緒に集落内の急勾配な坂道に「凍結防止剤」を撒く作業を行いました。
都会でシステムエンジニアをしていた頃のわたしなら、おそらく「明日は道が凍るから気をつけよう」とスマホの予報を眺めるだけで終わっていたはずです。
今回は、この「凍結防止剤を撒く」という日常のひとコマをきっかけにコラムを思いつきました。
都会ではなかなか気づけない「インフラを自分たちの手で維持する」という田舎暮らしのリアルについて、元都会人の視点で感想を綴ってみたいと思います。
自分で生きているようで、生かされていた東京暮らし
東京で暮らしていた頃、わたしにとってのインフラ(道路や水道、ゴミ処理など)は、お金を払えば自動的に提供されるのが当たり前のサービスでした。
雪が降れば誰かが除雪車を出し、道が傷めばいつの間にか補修されている。
それは非常に効率的でスマートな暮らしでしたが、一方で、自分がその維持にどう関わっているかを意識することはありませんでした。
普段関わることがないため、いざ自分でなんとかしなければならないシチュエーションが来た時には、おそらくできることはあまり多くなかったでしょう。
一生懸命働いて、自分の力で生きているように見えても、実のところは行政や民間のサービスへの依存度が高く、ある意味で「生かされている」と感じる瞬間が確かにありました
(まぁ、それが都会の「便利さ」ってことなんですけどね。笑)
しかし、淡路島の里山、特にわたしが住んでいるような過疎が進む小さな集落では、インフラは「誰かがやってくれるもの」ではなく「自分たちで守るもの」だったりします 。
都会に住んでいた頃のわたしには想像しにくかった世界だと思うので、いくつか例を出してみましょう。
冬に凍る道には凍結防止剤をまく
わたしは元々新潟に生まれで18年過ごし、大学時代の4年間は青森県弘前市で過ごしました。20年以上を雪国で育ったので、雪には慣れっこです。
(むしろ「もう雪はお腹いっぱいかな」という理由もあって淡路島に来ました)
雪国では、冬季の除雪が農閑期の農家さんの雇用を生むなど、大変な半面、除雪が仕事を作っている側面もあります。そんな雪国育ちのわたしですが、実は「凍結防止剤」を自分で撒いた経験はありませんでした。

わたしの住む集落は、市街地から15分ほど離れた里山にあります。
山中の通りには日の光が当たらず、冷え込むと凍結するポイントがいくつかあります。そうした場所の近くには、冬場になると市が用意してくれた凍結防止剤が置かれています。天候を見ながら、それらを集落の人たちで自発的に撒いていくのです。

「週末冷え込むから、塩(塩化カルシウム)を撒いておきますか」
という一声を受けて作業が始まります。
自分たちで袋から塩化カルシウムを取り出し、道に撒いていきます。
- 道に撒く人
- 撒いた塩を広げる

この日は子どもたちも手伝ってくれました。
「このカーブがよく滑るんだ」
「この下りはブレーキを踏むから手厚く撒いて」
初めて作業をした時は、町内会の人に勘どころを教わり、今度はわたしが子どもたちに同じように教えていく。
ノウハウはまさに「口伝」です。
生活に密着した知恵はこうして伝えられるのだなと、改めて考えさせられました。
水を送る用水路を直す
道を安全に保つ以外にも、稲作や散水に必要な用水路のメンテナンスも自分たちで行います。
集落では、水を多く使用する田植え前の春先に「溝掃除」を行って、田んぼに水を引く準備をします。水路は集落の重要なインフラです。
とはいえ、長年使用している水路は経年劣化で破損し、水漏れすることもしばしば。そのため毎年点検をしては、自分たちで補修をしていきます。

- 砂
- セメント
- スコップ
- こて
都会暮らしではあまり馴染みのない道具を使いながら、コンクリートを練っていきます。
わたしの住む集落では、こうした作業に地域づくりを学ぶ大学生が力を貸してくれることもあり、農村の実態を学ぶフィールドワークの場にもなっています 。

わたし自身も作業を手伝う中で、今では自分でコンクリートを練って駐車場の段差を直せるまでになりました。

材料は違えど、解体で出た古い土壁を練り直して補修するなどの経験を通じて
「意外と自分でなんでもできるぞ」
という感覚が湧いてきました 。
「自分でなんとかできる」から生まれる自己肯定感
こうした地域作業は、見方によっては「面倒」で「大変」なものです。
人によってはコミュニケーションに苦手意識を感じることもあるかもしれません。
しかし、移住して5年経った今は、これらを単なる負担だとは感じていません。
都会では何かが故障すれば、コールセンターに電話をして「復旧」を待つしかありませんでした。それは便利である反面、暮らしの主導権を見知らぬ誰かに委ね、ある種「依存」している状態でもあったのだと思います。
ここでの暮らしは
自分たちで道を整え、水を守り、環境を守る。
もし何かあっても、自分たちでなんとかできる。
そう思えることは不思議なもので「自分の人生を自分の足で歩いている」という感覚と、確かな自己肯定感を与えてくれます。
一緒に汗をかける人は移住に向いているはず
これから移住を考えている方の中には、こうした地域作業を不安に思う方もいるかもしれません。実際、わたしも最初は腰が引けていました(笑)
でも、心配しすぎる必要はないと思います。
大切なのは、最初から「お客様」としてサービスを享受しようとするのではなく、不完全な部分を「余白」と捉え、一緒に手を動かす仲間としてその場にいること。
地域の人と一緒に汗をかき、そうした活動を楽しめる人は、きっと移住後の生活も順調にいくはずです。
もし、日々の暮らしにあなたがどこか受動的な感覚を抱いているとしたら、ほんの少しの「不便(余白)」を楽しめる環境に身を置いてみるのはいかがでしょうか。
こちらの記事でも「余白」の捉え方について書いていますので、あわせてご覧ください。





