立春が過ぎてもなお寒いのは淡路島も例外ではありません。雪がちらついた数日後、湯谷さんご夫妻のお家を目指して淡路市里の「海平の郷」へ向かいました。この新興住宅地は以前にも紹介した土地で、点在する家の半数近くが別荘として建てられています。
今ではここの住人の古株となった湯谷恭幸さん(61才)・和美さん(57才)も初めは別荘としてここに家を建てたといいますが、それがちょうど20年前のことです。
生まれも育ちも大阪、仕事場も大阪のど真ん中の商業施設だったいう恭幸さん。厄(やく)年を迎えた時に、何か役(やく)に立つことを、と大阪人らしい発想で親戚の方々にも使ってもらえるようにと建てたのがこのお宅です。高い丘を上り詰めたところにそびえるお家は自然に囲まれ景色もすばらしく、都会からの訪問者に喜んでもらえること間違いなしです。
でも、別荘だったはずのお家に暮らし始めたのは、どんなきっかけからでしょう。
それはこの家の竣工から3年目に起きた阪神淡路大震災でした。初めは淡路島の自宅が心配でやって来た恭幸さんですが、被害がないことを確認すると今度は被害の大きかった北淡地区へと駆けつけます。惨状を目にし放っておけない気持ちからでしょうか、その後も仕事の休暇を取りながら大阪から何度も足を運び復旧のボランティアに加わりました。
そのうちに自然と淡路島の住人と仲良くなり、「淡路の人の温かさに魅かれた」と微笑む恭幸さん。淡路島に暮らすことを考え始めました。
一方、長年結婚式場で働いてきた和美さん。淡路島に住むのは定年後、と考えていたのですが、「夫婦は一緒に暮らすべき」と恭幸さんのお父さんに勧められ、来てみたところ、淡路島での暮らしがすぐに気に入ったと元気いっぱいの笑顔で振り返ります。
岐阜県出身の和美さんですが、幼いころから病弱だったといいます。「そうは見えませんね。」とこちらがいう前に「淡路島に来てすごく元気になったのよ!」とまた元気に笑うお顔は健康そのもの。移住して以来、色々なおけいこ事やボランティア活動に積極的に参加し、お友達の輪を広げてきたようで、その姿は生き生きはつらつとしています。
仕事の面では、最初の1年は大阪まで通うなどご苦労もあった恭幸さんですが、現在は偶然にも大学卒業後に希望した埋蔵文化発掘の仕事に就くことができ大満足のご様子。
和美さんも市の臨時職員として毎日元気にがんばっています。
淡路のおいしい食材も、ご近所のイベントや交流も、地元の人とのお付き合いも・・・
本当にあわじ暮らしに大満足。きっと明るく温かいおふたりだからこそ心からそう感じ楽しめるのでしょうね。
若い人が働く場所がもっとあれば住みやすく、進学で島を出た人も帰って来やすいのでは、とおっしゃるおふたり。まさにこれが淡路島が抱える問題だと確信しつつ帰途に着きました。
取材日:2012年02月17日