一年で一番寒い時期を迎えましたが、淡路島では雪がチラつくのも珍しいくらいです。今回も温暖な淡路島の東海岸、淡路市東浦地区での取材です。移住から3年目の坂倉康文さん(48才)・幸枝さん(48才)ご夫妻に淡路暮らしのお話をお聞きしました。
お二人は大阪生まれの大阪育ち、同じ高校出身で高校時代の出会いから今に至っています。なるほど大変仲が良く二人並んだ姿がとってもお似合いのカップルです。でも、仲の良いのには少々理由があるようで、ちょっと詳しく聞いてみたくなりました。
康文さんは大学進学後、印刷会社に就職して以来、同じ会社で長年企業のホームページや印刷物や作成に携わってきました。会社があるのはもちろん街の中で、いつの頃からかゴミゴミした都会から離れ田舎で暮らしたいと思い始めます。「定年後にではなくすぐにでも」という思いから車で各地を回り、大阪まで通勤できるところとして決めたのが淡路島でした。
一方短大を卒業後に化学メーカーに就職した幸枝さんは、輸入業務を通じて海外との橋渡しをする楽しさに目覚めます。その後IT企業や商社、特許事務所での翻訳、ユニバーサルスタジオやNGOピースボート主催の世界一周の船旅での通訳、またフリーランスの通訳ガイドなど、キャリアアップを重ねてきました。
そんなお二人が淡路島暮らしを決め、移り住んだ家は海がすぐそばに見える土地に建つ新築の無添加住宅です。古民家に住むことも考えましたが、大阪に比べ土地の値段が安いことから購入を決め、家の設計は建築士と相談しながら進めたとのこと。青々とした木々の間から温かい日が差し、家にいるだけでも十分に田舎暮らしが楽しめそうです。
ところが、この新居での淡路暮らしが始まった2012年の11月からわずか3か月後、康文さんに転勤命令が出ます。赴任先はなんと東京、これでは淡路島からはとても通勤できません。お二人が出した答えは二拠点生活でした。
康文さんは平日に東京のマンションに暮らし、金曜日の夜と日曜日の夜に夜行バスで淡路島と東京を行き来することで、週末をフルに淡路島の自宅で過ごすことができます。大変なようですが、「初めは意地ででも行き来してやるつもりが、今では苦にならなくなった。」と穏やかな笑顔を見せます。
移住直後から「あわじFANクラブ」などのNPO団体や「島くらし」などのグループや施設での活動に参加しネットワークを広げてきた多才な幸枝さんは、現在地元の線香組合での翻訳業や小学校では英語を使って子どもたちと外国語活動・・・とすでに島でなくてはならない存在となっています。
早く引退して淡路島で貢献したいという康文さんの横で、「もっと働いて!」とお茶目な笑顔の幸枝さん。週末ごとに夫婦でデートを楽しむお二人・・・ほら、仲の良いのは当たり前でしょ!その舞台が移住先の淡路島って素敵ですよね。
取材日:2015年02月15日