移住者の声
永田充男さん

ご先祖からの土地に広がる夢!永田さん一家のあわじ暮らし

職業:リタイヤ組 移住年:2014年 前住所:大阪市 現住所:洲本市

淡路島では梅雨の終わりを迎えようとしています。雨上がりのある日、淡路島のちょうど真ん中あたり、南あわじ市倭文へと向かいました。

淡路島への移住について語ってくださるのは永田充男さん(61才)です。元気みなぎる健康的な印象の永田さんが案内してくれたのは、県道から少し外れたところに広がるご先祖から受け継いだ土地です。

かつてここには永田さんも暮らした家がありました。少年時代を淡路島で過ごした永田さんにとっては懐かしく、常に気になる場所でもありましたが、何年もの間、人が住むことがなく、家は崩れて草木が生い茂り「鎮守の森」と化した土地となっていま した。

今からさかのぼること40余年。永田さんは島内の高校を卒業し東京に進学。ご家族もその頃に大阪へ引っ越し、家は空き家になっていました。
4年ほど前に、このまま放置していてはご近所・地域の方々に迷惑がかかる、と当時まだご存命だったお父様の判断で更地にされました。東京から戻った永田さんの方は、大阪で就職、そして結婚、二人のお子様にも恵まれごく一般的なサ ラリーマン生活を続けてきました。

淡路島へは、ご家族と時々お墓参りに来る程度で、将来この地に戻り再びそこに暮らそうとは考えて もいなかったという永田さん。二年前にお父様が亡くなり、定年を迎えるにつれ、ゆっくりと郊外で暮らしたいと思い始めます。

当初はご両親の移り住んだ河内長野の家を移住先にと考えましたが、ご先祖からの土地やお墓への思いもあり、奥様と相談を重ねました。 大阪市内で生まれ育った奥様は、当初淡路島での田舎暮らしには難色を示しましたが、観光がてら何度となく訪れるにつれ、その静けさ、空気の清らかさ、自然の豊かさに感動して移住を決心したといいます。

そしてすぐに取り掛かったのは家探しです。事前にインターネットで島内の物件を調べ、何度 も出向き、洲本市五色町にある開発された住宅地の一軒を見つけました。
後に奥様のご両親も大阪市内から近くに住むことになりますが、ご両親にとってもまったくの田舎で はなく住みやすい環境といえる場所です。

とはいえ、淡路島暮らしには車の運転免許は必須です。免許を持っていなかった奥様も一念発起で取 得し、ご両親を淡路島へ迎えました。今ではご両親も野菜作りを楽しみながら元気にお過ごしとのことです。
また、その後に永田さんの移住に興味を持ち、ご先祖からの土地の有効利用の構想や夢に共感した娘さ んと息子さんも移住してきます。4年前に一旦は更地にしたはずの土地が再び竹やぶになり、草が生い茂った状態を見た子どもさんたちも協力し、家族総出で竹や草を取り除き、土地の整備・維持に努めています。

そして淡路島の活性化に関心を持つ多くの仲間たちと共に「みんなが集える場所、若者が活躍できる環境・場所を作りたい。」と目下活用方法等を模索中だとか。
近い将来きっとみんなの笑顔が集まる場所を作りあげることでしょう。楽しみにしています。

取材日:2015年07月15日

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