淡路島で遊ぼう!
根岸誠一さん・絵理さん夫妻が大阪から淡路島に移り住んだのは2013年のこと。東京生まれの誠一さんは洋服のリメイク業、奈良出身の絵理さんは空間デザイナーとして活躍していた頃ですが、東日本大震災を機に、田舎暮らしを考え出したのが計画の始まりでした。
移住先として考える中で阪神淡路大震災時に聞いた「淡路島は食料自給率が100%を超える」という話が頭に浮かびました。そこで淡路島の不動産屋に相談、見つけたのが島の北西部、淡路市浅野地区にある借家でした。そこを拠点に大阪に残したそれぞれの職場に通うこと2年。「初めは淡路島では遊ぶことがメインだった。」と誠一さんが言いますが、この間に驚くほど多くの人々と出会い、ネットワークを広げてきたようです。明るく気さくでアーティスティックなこの夫妻のこと、お友達が増えるのは当然です。魅力的な根岸夫妻のもとに人が集まり楽しむ様子が浮かびます。
きっかけは畑で育てた藍
そんなお二人ですが、友人と一緒に始めた畑仕事で野菜の横で育てた藍に魅かれたのが、今の活動につながります。大阪でも染色をしていた絵理さんですが、合成染料を使うことにためらいを感じていたことから、自分たちの手で有機野菜と同様、農薬を使わずに育てた藍で染色したいと思い始めたのです。
それ以来、藍の栽培に力を入れ、今では15アールほどの畑を借りての栽培にまで広げています。また、藍草の葉から染色用の「すくも」を作る工程や「すくも」を使っての藍染の技術など昔ながらの職人技を習得するため今は全国でも5件しか残っていないという藍師や熟練の染色家の下へと、誠一さんと絵理さんは徳島まで通い始めました。
貴重な伝統技を真剣に学ぶ若き後継者の存在に、先人達が大きな期待をかけてくれています。
藍師から紺屋へ
淡路島の地元のお年寄りにもずいぶんとかわいがられている根岸夫妻。2016年に友達の紹介で東浦地区に工房兼ギャラリーを開設してからは、声をかけてもらったり、野菜を分けてもらったりとご近所との付き合いも濃くなってきました。
お二人が育てる「おのころ藍」の作品を求めて海の見えるこの場所へやって来るお客さんも増えています。
「淡路島にはいろいろな可能性がある。」とし、「藍染を極め紺屋の職人を目指したい。」と語る笑顔のご夫妻。お二人が出会った藍のその可能性もまた無限大のようで、今後の展開が楽しみです。
取材日:2017年07月15日