淡路島で有数の陶芸工房兼ショップを営む
“美大卒”Uターン夫婦
「かつての民藝品のような美しいモノを、現代にも作っていきたいと思ったんです」
そう語りながら、自らが作る陶器を愛でるのは「Awabiware(あわびウェア)」代表の岡本さんご夫婦。
武蔵野美術大学の陶芸サークルで出会った二人は、2010年に純一さんの生まれ故郷である淡路島へと移り住み、その2年後の2012年、陶芸工房兼ショップ「Awabiware(あわびウェア)」をオープン。
淡路島の伝統的な焼き物「珉平焼(みんぺいやき)」に着想を得たカラフルな作品は、“食材が映える”、“食事が楽しくなる”と、島内外から多くのお客さんの人気を得ています。
また、診療所として使われていた工房は、ゆっくりと重ねてきた時の流れを感じる、どこか懐かしい落ち着く空間。
「もっと自然とつながりたい」
そう話す純一さんの感性は、淡路島での生活や作り出す作品だけでなく、こうした環境づくりにも表れていました。
きっかけは東京で経験した自宅出産
見えてきた“自然の暮らし”
二人の田舎暮らしへの関心が高まったのは、寛子さんのおなかに二人目の子供を授かったころ。
「昔から自然の暮らしに興味はありましたが、大きなきっかけになったのは、二人の子供を自宅出産したときですね。それからは意識が変わって、“これまで目を向けてこなかった暮らし”に目を向けるようになりました。紙おむつではなく布おむつを使うようになったり、食事にも一層、気をつかうようになりましたね。東京にいながらも、お米や野菜は自分で作っていました」
都会で子供を育てる息苦しさはもちろん、人口の多さと反比例していく“つながりの希薄さ”にも違和感を覚え、「もっとのびのびと子育てをしたい」と、二人は淡路島への移住を決意します。
「僕もいつかは淡路島に戻ってくるつもりでいたので、妻の意見に賛成でした。東京では大学で美術教師をしていましたが、やっぱり陶芸が好きだったので、こうしてまた淡路島で挑戦できたことは嬉しいですよね」
しかし移住当初は、“期待していた子育て”とは違う側面もあったのだとか。
「移住当初は、こんなに自然が豊かなのに、意外と子供たちがインドアだったことに驚きました。だから“もっと自然の中で遊べる場所(保育園や学校)があればいいのに”と思っていました。それに、東京にいたころの方が、自然派な暮らしを求める人や、そういうコミュニティ自体も多かった。なので最初の頃は、同じような子育てを共有できる人がいなくて孤独でしたね。でも、そのあと東日本大震災が起きて、安心・安全な食事や居場所を求めて移住してくる人が増えたんです。ようやく思いを分かち合える移住者さんとのつながりができて、楽しくなっていきましたね」
“淡路島はパワーがある島。それが、潜在的な島の満足度につながっている”
そう語る理由のひとつには、こうした意識の高い移住者たちの“生きる活力”が、島全体に溢れているのかもしれません。
ビビッときたら、ぜひ淡路島へ
移住に必要なのは、直観とタイミング
淡路島に移住して9年目。島の不便なところを伺ってみると、
“お酒を飲みに行くには代行が必要だから、ちょっと大変だよね”
“車移動が基本だから、運動不足になりやすいし、健康面では日頃の意識が大切かもね?”
“でも、車移動のおかげで市役所とかはすぐに行けるから、その点は都会より便利だよね(笑)”
だから淡路島は、“小便利な田舎”。ほとんどが島の中でこと足りてしまうので、「ここは小さな日本だ」とお二人は話します。
「まずは来てみることですよね。一度、仮暮らしをしてみるといいですよ。それでビビッときたら淡路島に移住したらいいし、なによりその直感が大事です。あとは“流れに逆らわないこと”。タイミングを見て、きちんと流れに乗ることが移住後のいちばんいい暮らしにつながると思います」
淡路島で夢を実現する
ひとつのきっかけになれたら
今後の二人の目標は、「Awabiware(あわびウェア)」をもっともっと、育てていくこと。
「これまでは需要と供給がピタっとハマるところを目指してきたけど、もっとそのときに応じた数やモノを作れるようになりたいですね。あとは海外進出。これだけボーダレスな時代になってきたので、自分たちらしさは見失わず、これからも走り続けたいです。そのためには暮らしの部分でも、もっと淡路島の自然と手をつなげるような、“そこにある自然を自然に感じられる暮らし”がしたいですね」
「淡路島でやりたいことを実現している移住者さんは多いので、私たちも夢を持ってこられる方の背中を押せるような、なにかひとつのきっかけになれたら嬉しいです」
淡路島での子育てや自然との暮らしを求めている方は、ぜひ一度、岡本夫妻に会いに行ってみてはいかがでしょうか?自分らしい生き方が、見つかるかもしれませんよ?
取材日:2019年06月19日