移住者ブログ

移住後に知った島の歴史

こんにちは、カフェ カシュ‐カシュの仲上です。

人間が一番快適に感じる気温は、20度くらいなのだとか。

いい季節が、長く続くといいですね。

 

さて、みなさん、淡路島にかつて鉄道が走っていたことをご存じでしょうか。

私は、移住後に知りました。

今の洲本市栄町から福良までを、おおよそ1時間で結んでいたそう。

洲本市役所近くのガソリンスタンドが、「洲本駅前店」ということも、これで納得です。

鉄道は、1966年に廃止になったそうですが、その後もずっと駅前店を名乗り続けているのが面白いですね。

そして、もうひとつ、移住後に知った歴史がこちら。

 

生石(おいし)公園・生石展望台の戦争遺構

洲本市街から海沿いを南へ、由良の漁港を越えた先にあります。

公園は、梅の名所として知られているそうですが、展望台近くには桜も八重桜もあり、何度もお花見が楽しめる所です。

八重桜が満開でした
海の向こうには和歌山の街が見えます

そして、生石山には、対岸の和歌山と共に、戦時下には、侵入してくる敵国の船を挟み撃ちにし、撃退するための砲台が設置されていたということです。

紀淡海峡。生石と和歌山との距離は11キロ。

挟み撃ちが可能な距離だったんですね。

 

展望台近くで、清掃作業中の二人の地元のおじさまに話を伺うことが出来ました。

船に当てなあかんから、大砲は水平の弾道じゃあかんねんで、上から落ちるやつやないと、とか。

当時は、ここには誰も近づかれへんかってんで、とか。

見てきたように話されていましたが、それほどのお歳ではないように見受けました。

きっと、親から子に伝えられてきたことなんでしょうね。

結局、砲台は実戦で使われることなく、第二次世界大戦終結後に取り壊されたそうです。

 

他国の戦争に胸が痛むこのごろ。

淡路島にある戦争遺構を、みなさまにお伝えしたくなりました。

 

 

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あわじ暮らし総合相談窓口

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