この度、あわじ暮らし総合相談窓口の相談員を務めることになりました。
なので、今回は自己紹介を兼ねて移住してどんな生活をしているのかを披露させてもらいます。
近所の山から見た我が町の風景
”移住先は淡路島の南の端あたり”
私は2021年9月に南あわじ市の阿万と呼ばれる地域に移住してきました。
家から海までは直線距離で800mほど、歩いて10分で吹上浜という一面真っ白な砂浜に辿り着きます。また、同じく歩いて10分ほどのところに標高150mほどの山があり、山と海と田んぼと畑に囲まれた風光明媚、山紫水明、花鳥風月、、、
つまりは、自然豊かな田舎に住んでいます。
都会に比べると驚くくらい静かで鳥の鳴き声と虫の音と波の音、たまにトラクターのエンジン音、こんな環境が気に入って移住生活を満喫しています。
”私は、、、FIREやってます”
移住生活のレポートに入る前に、少し特殊な状況を説明しておきます。
私は一応、FIREの状態で淡路島に移住してきました。FIREとは「Financial Independence, Retire Early」の頭文字をとったもので、
「経済的自立」と「早期リタイヤ」の意味です。
つまり、生活費は資産運用などで賄っているので、早々にサラリーマンを辞めて気ままに暮らしている、、、といった感じです。
かなりいい御身分のように聞こえますが、世間からは
「仕事もせず趣味だけに生きるって、暇なだけ。時間を持て余す」とか、
「単なる世捨て人がすること」など批判的な意見も結構あります。
なので、本当にFIREを実践するとどんな生活になるのか?を個人のブログに掲載しています。興味のある方はそちらをご覧ください。
”仕事はどうしてる??”
生活費を稼ぐための仕事はしなくていいので、移住した直後は仕事もせずにやってみたかったことだけに時間を費やしました。
DIYで家具を作ったり、庭にピザ窯を作ったり、雨が降ったら読書か映画、漫画とアニメ、、、といった具合にサラリーマン時代に諦めていたことに自分の時間を全振りしてみました。
でも、そんな生活もすぐに飽きがきました。そして、
「何かはじめるかなぁ」と重い腰を上げたのが、移住してから2か月ほど経った頃。
もともと移住の準備として中小企業診断士と行政書士の資格を取得してたので、そこから2か月後に開業届を出して、晴れて
「法律と経営の相談所」をオープンしました。
ついでに、近所の人たちから
「あそこの家、いい年した男の人が昼間から家でゴソゴソしているけど何してるの?」
という不審者扱いの誤解(被害妄想だと思いますが、、、)も払拭したいと考え、家の前に看板を設置したのですが、その効果が絶大。
看板の前で車を停めて不思議そうに看板を見つめる人がチラホラ。そのうち、庭に入って来て「あんた何する人?」って声がかかりはじめ、あっという間に地域で話題になっていました。
そこからは何でも気軽に相談できる場所と認識してもらい、今では経営から相続まで幅広く相談に来てもらえる事務所になりました。
私の好きな風景:大鳴門橋に沈む夕日
”なぜか町内会の役員に”
移住して1年と少し経った頃、町内会の副会長が家に来て、
「次の町内会の役員をやってくれへんか?」と言われました。
これまで2,3度しか顔を合わせた記憶がない人からのオファーで、しかもとても困った顔をされていたので、断るのもどうかと思い、
「お役に立てるのであれば、、、」と承諾しました。
その日の総会で私の役員就任が決まり、地域の人たちにとっては「珍しい仕事をしている移住者」から「町内の自治を支えるメンバー」にランクアップ。近所を歩いていても知らない人から「ご苦労様(^-^)」と声を掛けてもらえるほどにまで認知してもらえるようになりました。
今は、町内会の活動の一環として地域に住んでいる人たちに向けて町内の話題を提供するホームページを作っています。
〇〇さんがTVの取材を受けましたとか、老人会のグランドゴルフ大会の様子などを取材して発信する、、、
勝手に町内会の広報担当と名乗って活動しています。
”結局、移住は楽しんだ人の勝ち”
移住前は都会のゴチャゴチャした生活に疲れて、田舎ののんびりした生活に癒されたくて移住を決断しましたが、あれから2年。
今の生活は思い描いていた憧れとは違うけど、忙しくも充実した日々です。
これまでの生活を採点すると、たまには濃すぎる人間関係や田舎ならではの無遠慮な物言いなどにマイナス点を付けることもありますが、人に頼られることの嬉しさや自分でも地域の役に立てることへの自己肯定感に対するプラスポイントの方が大きく上回っています。
移住生活の楽しみ方は無限です。自分次第でいくらでも見つけられると思います。
移住相談に来られた方には、こんなこともお話しできたらと思っています。
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