相談員ブログ

どうして移住?なんで淡路島?

こんにちは、あるいはこんばんは。相談員の田畑です。
前回は初めての相談員ブログだったので、自己紹介を兼ねて移住後の生活について披露しましたので、今回はその続き。
どうして移住することにしたのか?について書いていきます。

 

”都会の人混みに辟易 (-_-メ)”

私は、20221年9月に南あわじ市の阿万地区という淡路島の南端に位置する風光明媚、山紫水明、花鳥風月、、、
つまりは、自然豊かな田舎に移住してきました。
大学までは西宮や神戸など関西圏で暮していましたが、損害保険会社に勤めてからは東京での生活が長くなり、毎日の通勤ラッシュにホトホト疲れていました。
会社には地方の営業所に転勤したいという希望は出していましたが、叶えられることもなく、

「じゃあ、自分で田舎に行こう!」

となり、移住計画をスタートさせました。


  サラリーマン時代の写真(左側)

 

”45歳で移住の準備を開始”

会社を辞める決意はしましたが、やっぱり不安は残ります。特に、仕事面。
そこで、まずは手に職を付けようと思い、取れそうな資格を探しました。そこで目を付けたのが”中小企業診断士”でした。簡単に取れるものでもないことは十分承知していましたが、だからこそ日本中どこに行っても食い逸れることはないだろうと、勉強を始めました。
これと並行して、移住先の候補地も見て回りました。これが自分にとって移住の準備を進めるモチベーションになりました。
石垣島や竹富島、佐渡島など、なぜか離島ばかりなんですが、実際に旅行がてら、

「ここなら、やってけるかなぁ」

「仕事はこんな感じかなぁ」

なんて妄想を繰り広げながら、移住後の生活イメージして勉強のテンションをあげていました。


 移住の候補先として下見してきました。沖縄県の竹富島

”46歳で退職。そして大学院へ”

地方移住を心に決め、その準備として中小企業診断士の資格を取るために日々悪戦苦闘していましたが、そんな折、”養成課程”なる訓練を受ければ試験に合格せずとも資格を取得できることを知り、早速その大学の受験申し込みをおこないました。
この時、46歳。銀行の窓口で受験料の振込をしていると行員さんから、

「お子さんの受験ですか?頑張ってください!」

と、合格祈願のお札を渡されました(^_^;)

まさか、「いいえ、自分のです。。。」とも言えず、感謝を述べてその場を立ち去りましたが、あの時もらったお札のお陰で競争率4倍の受験にも合格できたんだと、、、

ちなみに、大学院の授業は朝から夜まであり、自分専用のロッカーと机が用意されています。25年ぶりの学生生活は、控えめに言って  「めっちゃ楽しい」でした。条件さえ整えば、もう一度どこかの大学院に行こうかなぁ、と考える程です。


  大学院で学ぶ46歳学生の姿

 

”卒業後、コロナで、、、”

無事に1年の大学院生活が終わり、予定通り中小企業診断士資格と経営学修士(MBA)が取れたので、いよいよ移住かと思いきや、卒業式の1か月前からコロナが蔓延しはじめました。
卒業式も中止。4月にはまんえん防止法により行動自粛と県をまたぐ移動ができなくなり、移住計画もストップしました。
ちょうどその頃、昔の知り合いから会社を手伝って欲しいと言われていたので、移住は少し先延ばしにしてお手伝いに。
と言っても、通勤できないので、家で時間を持て余す日々が続き、

「時間がもったいないから、行政書士試験でも受験するかぁ~」

という気まぐれから、またまた受験勉強を始めました。

”ダブルライセンスでいよいよ”

運よく行政書士試験も合格し、当初予定していた「日本中どこに行っても食い逸れることはない」状態になったと思い、ここから本格的に移住計画をスタートさせます。
でも、当初に描いていた行先は大きく変更しました。コロナの行動制限を目の当たりにして、実家から遠い場所への移住は候補から外し、兵庫や近隣の岡山、鳥取あたりに絞りました。

まず、知人の会社に退職の意思を伝え、その足で東京の有楽町にある”ふるさと回帰支援センター”へ。
そこで3県の話を聴いたときに、激押しされたのが”淡路島”だったんです。
淡路島は実家からも見えるくらいの距離なので、

「移住って感じじゃないんだよな~」

と、どことなく乗り気になれなかたんですが、あまりにも強くお勧めされるので、とりあえず候補の中に入れときますか、、、ってな感じでした。

その後、2020年の年末に実家に帰省したときに、”あわじ暮らし総合相談窓口”にも連絡して話を聴かせてもらいに行ったのですが、家探しのことや暮らしのことなど多方面からアドバイスをいただきました。
まあ、これがきっかけで、今、こんなブログを書いています(#^^#)

”運よく、家が見つかった!”

明けて、2021年の2月に空き家バンクの物件を内見する手配をして、再び淡路島へ。
1日しか休みがなかったので、段取り良く回れるように3社の不動産会社にも色々と無理をお願いして5件見て回りました。
結果は、どれも厳しい(-_-;)
”The 空き家”と言った感じの物件ばかりで、住めるようにするまで相当の時間と労力がかかることは明白。ちょっと気落ちしていた時に、1件の不動産会社の方から、

「今は空き家じゃなけど、もうすぐ退去する物件があるよ。見てみる?」

とのお言葉。是非ともお願いします、と言って、その足で運命の物件へ。

 

”移住生活は楽しい、の一言”

紹介してもらった物件は、まさしく自分が描いた理想のロケーションでした。
周囲は畑か空き家、どれだけ騒いでも、BBQで煙が出ても迷惑をかけない。庭も十分に広くて家庭菜園だけじゃく、色々と活用できる。
こんな条件が揃った物件はなかなか出てこないかも、、、と思い、翌日には手付金を振り込んで購入を決めました。
結局、リフォームしたりなんやかんやで移住は家を決めてから半年後になるんですが、あれからまる2年が経ち、その間、移住生活を満喫しています。
DIYで家具やピザ窯を作ったり、家庭菜園で野菜や果物を育てたりと、仕事を含めてすべてが初めての体験で、すべてが刺激的です。

こんな感動を相談者の方々にもお伝えできればと考えています。


  自作のピザ窯

移住生活の詳しい様子はこちらのブログから

この記事を書いた人

田畑尊靖

田畑尊靖

転勤で福井や東京などで暮した結果、静かな田舎暮らしに憧れて東京脱出を計画。どこでも仕事ができるように中小企業診断士や行政書士の資格を取ってから2021年9月に南あわじ市に移住。今はコンサルタントとして起業し、地域の人たちの「法律と経営の街医者」的な存在として様々な相談を受けている。(https://tbt-asml.com/)

このライターの記事一覧

Top