春の嵐が去り、桜の時も過ぎようかという頃、城下町の名残を感じさせる洲本市「塩屋筋」のカフェ「各駅停車」を訪問しました。かわいい笑顔で迎えてくれたのは淡路島に移住して18年という鶴田啓子さん(56才)。元気いっぱいの彼女に淡路暮らしと各駅停車のお話をお聞きしました。
鶴田さんが淡路島の洲本市に初めて越してきたのは1995年のこと。転勤族のご主人と数回目かの引越し先が洲本だったと振り返ります。明るい性格からどこに行っても地域に馴染み人付き合いも楽々できそうですが、その日以来18年もの年月をこの地に暮らし続けようとはまさかご本人も考えてもみなかったことでしょう。
ご主人は5年後に淡路島から沖縄へと転勤。現在は遠距離結婚、離れて暮らす家族の形を続けていると笑い飛ばす鶴田さんですが、彼女を淡路にとどまらせたのは、「各駅停車」の事務局長としての仕事かもしれません。
職場恋愛で若くして結婚した鶴田さん。結婚後は長男、長女の子育てをしながら専業主婦を続けてきました。淡路島に来て3年目あたりにふらりと立ち寄ったハローワークで勧められたのが当時NPO法人になったばかりの「各駅停車」での仕事でした。
精神障害を持つ人たちが社会に出やすいように支援したいという想いから、当事者や家族たちが立ち上げたのが「各駅停車」。まだ日本全体でも地域社会でも理解の乏しい頃でしたが、親の会の熱意と活動が実を結び、県下で初の精神障害者支援のNPOとして設立されたとのことです。
そんな中へ飛び込んだのが鶴田さん。当初は電池の部品組立や靴下の袋詰めなどの作業を通所メンバーといっしょに行ってきましたが、他の作業所と販売店の共同経営を経て、現在のカフェを開くに至りました。カフェには10数名のメンバーがそれぞれ体調や気分で自由に、または日を決めて、それぞれの形で通所してきます。立ち寄ってくれる地域のお客さんと関わることで社会とのつながりが構築されていくのでしょう。
いつも穏やかで、さりげなくそんな場を提供できる彼女は、メンバーにとっては妹であり、お姉さんであり、お母さんのような存在かもしれません。そして、その彼女を支えるのがNPOの理事長や理事の方々だと力を込めていいます。
「何も知らないままで来た自分を育ててくれ、必要としてくれること、役に立てていることがとても嬉しい。」と目を光らせます。そして「家族みたいにみんなで活動できる」とも・・・。
ところで、鶴田さん、もうひとつのご家族は?・・・淡路島で小・中学校や高校を卒業した子どもさんたちは既に成人し、長女さんはお父さんと沖縄に住み父親孝行をしているのだとか。いつかみんなが淡路島の住人になるってこともアリかもしれません。
そんな希望を持ちながら日々活躍中の鶴田さん。元気をもらいたい人は是非「各駅停車」へ!
特定非営利活動法人各駅停車
洲本市栄町3-1-47
取材日:2013年04月14日