皆が集う憩いの場
沼島で初のカフェをオープン
沼島汽船に揺られ、10分ほどで到着するのは、淡路島の南東に位置する小さな離島「沼島」。タイムスリップしたような、どこかなつかしい原風景が残るその島は、人口約400人の小さな港町でありながら、毎年多くの観光客が訪れています。
また沼島は、古事記に登場する日本最古の島「おのころ島」にあたることから、近年パワースポットとしても人気を集めています。
その一角にお店を構えるのが、今回ご紹介する移住者さんが運営する「吉甚 バッタリカフェ」です。沼島唯一のカフェとして、観光客や地元民を迎え入れています。
店主の川勝恵さんは、2016年の春、南あわじ市の地域おこし協力隊として沼島に移られました。当時、協力隊が運営を任されていた観光案内所「吉甚」で地域振興に励みながら、沼島の魅力を発信。その後、3年の任期が終了するタイミングで「吉甚」の民営化が決定したため、そのままお店を引き継ぎ、2019年5月に「吉甚 バッタリカフェ」としてお店をリニューアルオープンしました。
店内では国生み神話にちなんだドリンクや軽食の提供をはじめ、ここでしか買えない島のおみやげも販売しています。
生かされる喜びを教えてくれた沼島で
恩送りの人生を
川勝さんが初めて沼島に訪れたのは、2014年の9月。所属するシニアミュージカル劇団の沼島公演に参加したことがきっかけでした。
「実はその年の1月、大きな手術を受けたんです。当時は病気をしても働き続けていたので、お医者さんに診てもらうころには“よく生きてましたね”と言われるくらい悪化していました(苦笑)」
術後は辛いリハビリを重ね、少しずつ歩けるようになると、4月に社会復帰。いつも通りの日常が戻ってきたころ、沼島公演の話が舞い込みます。
「チラシに書かれた沼島の文字を見た瞬間、“ここにはきっと何かある”と直感で感じました(笑)」
こうして川勝さんは、初めて沼島の地へと降り立ちます。
「結局、公演の間は洲本から通っていたので、あまり沼島を満喫できずに終わってしまいました。なので“このまま帰るのはもったいない”と思って、私だけ残ることにしたんです」
そうして一足先に帰路につく劇団の仲間たちを見送ると、川勝さんの目に飛び込んできたのは、沼島の海に沈む美しい夕陽でした。
「“生かされたんだな”と思いました。これまで何度も事故や病気で命の危機と向き合ってきたので、“でも、まだ生きている…”という感謝の思いが溢れました」
しばらくの間、涙でにじむ夕陽を眺めていると、さらなるサプライズが…。
「水軍(食事処)の女将さんが、夕陽を見ていた私の後ろ姿を写真に撮ってくれていて、わざわざ現像してプレゼントしてくださったんです。その写真を見て、また号泣しました…」
沼島が持つ自然のエネルギーや、人の温かさにすっかり魅了された川勝さんは、その後も沼島へ通うように。1年半が経ったころ、地域おこし協力隊の誘いを受け、念願だった沼島での生活がスタートします。
「生かされる喜びを再び感じさせてくれた沼島で、恩送りをしていきたいと思いました。“今ここに在る奇跡”を気付かせてくれた沼島の荘厳な夕陽と朝陽に感謝しています」
「どうぞ私の役目を与えてください」
自分がしたいことではなく、沼島のためにできることを
自然の中に自分を感じられる沼島の生活は、川勝さんのそれまでの意識を大きく変えていきました。
「昔からもう一度、人の集まる場所をつくるのが夢でした。以前に信州の高原でヒュッテを経営していたことがあったのですが、そうした様々な経験や時間を積んだからこそ、またこうして新しい場を与えてもらい、夢を叶えさせてもらうことができたのだと感じています」
それまでは“何か役に立たなければ価値がない”という気持ちで自己肯定感を持てない人生だったと話す川勝さんですが、沼島のゆったりとした時間の中で過ごすうちに、心も落ち着いていったのだそう。
「“どうぞ私の役目を与えてください”そう神様に祈るのが日課になりました。これからはこの場所で、沼島に求められていることを、みんなで一緒に叶えていけたらいいなと思っています」
沼島での生活も5年目…。“いろいろあっても、それでも好きだと思える場所に出会えた”と話す川勝さんの表情は、とても生き生きとされていました。
「周りからはよく“沼島って不便でしょ?”と聞かれるけど、私はいつも“不便さの中の豊かさに気付かせてもらいました”と答えるんです。沼島に限らず、どんな場所でも考え方ひとつで見え方や価値観は変わってくるもの。いまいる場所で生きていることに感謝するのは、とても大切なことです。もし余裕が持てないのであれば、一度立ち止まってみるのも大事。そういう意味で沼島は、いつでもリセットできる場所であり、そんな“再生”のエネルギーが流れている島です。私はその魅力を伝え続けていきたいし、それが私の使命だと思っています」
一度訪れるとまた訪れたくなる、そんな不思議な魅力を持つ沼島。ゆったりと流れる“沼島時間”の中に身を置いてみれば、何か新しい気付きを得られるかもしれません。
「何があっても私は沼島と沼島の人が好き!」そう何度も繰り返す、川勝さんの“沼島愛”がまっすぐに伝わってくる今回の取材でした。
吉甚 バッタリカフェ
兵庫県南あわじ市沼島2400
取材日:2020年10月30日