移住者の声
黒川香苗

地域おこしから「ADDress」淡路島オーナーへ

職業:ADDress 淡路島オーナー / フリーランスデザイナー 移住年:2018年 前住所:大阪府 現住所:洲本市

懐かしい故郷を思い出す
淡路島との出会い

「昔から旅をするのが好きだったんです」

そう話すのは、いまから3年半前に大阪から移住をした黒川香苗さん。黒川さんは、独身時代から一人旅が大好きで、国内外問わず赴いては、ゲストハウスでの偶発的な出会いや交流を楽しんできたそうです。

海外滞在中、シティーツアーに参加する黒川さん

「これまでの旅の経験や出会いを通して、“いつかゲストハウスをつくりたい”という漠然とした思いがありました」

当時、大阪で建築関係のデザイナーをしていた黒川さんは、インテリアや内装デザインの知識を生かし、カフェを併設したゲストハウスを作ることを夢見ていました。

2017年。夢の実現のため、会社を退職した黒川さんは、カナダでの語学留学から帰国後、芦屋のコーヒー専門店で焙煎の勉強をはじめていました。そこで「いいところがある」とオーナーに連れられて来たのが淡路島でした。

2017年の秋、淡路島へ訪れたころ

久しぶりに訪れる淡路島の風景は、島や海好きの黒川さんにとって、とても魅力的に映りました。

「淡路島には小さいころ観光で来た記憶しかなかったので、大人になってはじめて大阪と淡路島の近さを知り驚きました。自然や田舎の景色、人の温かさにも魅力を感じたし、なにより南あわじ市の雰囲気が、生まれ育った岡山の故郷に似ていたので、どこか懐かしく、親しみやすさがありました」

案内してもらった灘のみかん農園にて

農家さんや生産者さんを紹介してもらいながら、五感で淡路島を感じていくと、見えてきたのはこれまでの自分の仕事への違和感だったと話します。

「淡路島の人たちが、土地の風土を活かしてモノづくりをしている姿にオリジナリティを感じました。私がしてきた仕事は、建具や建材のような汎用的なものを、他社との差別化を図りながらいかに効率よく、大量生産していくかが求められたので、すごく対照的に見えたんですよね」

黒川さんは、そうした生産者さん一人ひとりが持つ“オリジナリティ”をデザインで表現することに興味を持ち、2018年4月から南あわじ市の地域おこし協力隊として淡路島での新たな生活をはじめます。

 

「風のようでありたい…」
地域おこし協力隊として心得ていたこと

大阪と淡路島。当時、旦那さんと遠距離での二拠点生活をスタートさせた黒川さんは、協力隊のミッションとして与えられた「特産品の販路拡大」に奔走していました。

まず最初に注目したのは、淡路島で古い歴史を持つ「淡路島 手延べそうめん」。

約200年の歴史を持つ手延べそうめんを作る製麺所は、現在13軒にまで減少

「はじめて食べたとき、その美味しさにすごく感動しました。“もっとみんなに知ってもらわなきゃ!”と思って、一棟貸のゲストハウスのキッチンスペースを間借りして南淡そうめん食堂をオープンしました」

しかしオープン初日、お客さんはゼロ。宣伝不足を痛感し、SNSでの発信に力を入れたり、新聞記事への掲載依頼や地道なチラシのポスティングなどを重ね、徐々に集客を増やしていきました。

2ヶ月間限定の食堂をはじめたころの黒川さん

「やってみたかったカフェの経験も兼ねての挑戦でしたが、はじめて飲食店を運営して感じたのは、“これでは食べていけない”ということでした。心労の割に、そんなに儲かるものではないし、なによりずっとお客さんをお店で待っていなければいけない。私はそれが苦手ということが分かったし、継続的にお店を続けることよりも、イベントとか、1日で終わるような単発出店のほうが好きだということに気付けました。改めて私は、一か所に留まるより、いろいろなところに出向いていく方が好きなんだなと実感する機会でした」

その後もイベントなど単発での出店をこなした黒川さんでしたが、他にも自身のデザイン力を武器に、農家さんのリーフレットやロゴマーク、販促物などをつくり地域おこし協力隊としての活動に貢献していきました。

黒川さんが手がけた農家さんのデザインロゴ一例「淡路島 YASAIBA」

「私は淡路島のような岡山の農村で育ったので、なんとなく田舎のルールが分かっていました。だから都会と田舎のギャップを感じることも、悩むこともなかったけど、やっぱり協力隊として地域に入っていくときは、地域の方と同じ目線に立って、リスペクトの気持ちをもって対話をすることが大切だと思います」

協力隊の中には、都会で培ったノウハウを発揮しようと思うがあまり、地域の方と衝突してしまう方も少なくないのが現状。いきなり何かをはじめようとするのではなく、まずは黒川さんのように地域を知り学ぶことが、地域おこしの活動には欠かせない姿勢なのかもしれません。

大阪で開催した「淡路島マルシェ」のイベントを手伝う黒川さん

「私はただ“自分が好きだな”と思うことと、“足りてないな”と思うところの間を見つけて動いているだけというか…。いつも風のようでありたいと思っているので、基本的にサラッとしています(笑)」

思ったことはすぐにトライアンドエラーを繰り返し、進むべき方向へ躊躇なく向かう姿は、協力隊としてだけでなく、生き方としても学びになるお話でした。

 

出産と卒隊、そして夢のゲストハウスの完成へ

淡路島での生活に慣れてきたころ、黒川さんは第一子を妊娠。産休に入り、里帰り出産をされました。その後、大阪に戻り2ヶ月ほど都会での子育てを経験。そのときの様子をこう振り返ります。

家族が増えた黒川ファミリー

「ベビーカーを押しながらの生活はとてもしんどかった記憶があります。ちょっとどこかへ行くにも電車やバスを使わなければいけないし、特に段差の多い地下鉄は移動のネックでした。改めて都会の子育ては大変だと思ったし、車移動ができる淡路島の生活の方が断然、楽だと思いましたね」

そんな生活をしていたころ、世間では新型コロナウイルスが流行しはじめ、旦那さんの仕事がリモートに。産休明けは一人きりでの子育てを不安視していたそうですが、旦那さんも一緒に島へ帰ることになり、家族3人での暮らしがはじまりました。

リモートワーク中のご主人と娘さん

「主人はこれまでも何度か淡路島には遊びに来ていましたが、“仕事を辞めてまで住みたいとは思わない”と移住に後ろ向きでした。でも、そのころ私が住んでいた慶野松原(南あわじ市)の家をゲストハウスにするために改装をしていたら、一緒に手伝ってくれるようになって。…そしたら、すっかりDIYにハマってしまったんです(笑)。私が卒隊する2021年の春に主人も会社を辞めて、本格的に古民家再生の事業にチャンレンジすることになりました」

地域おこし協力隊の仕事と並行して開業準備を進めた慶野松原の宿

暮らしながらDIYをしていた慶野松原の家は現在、多拠点住み放題サービス「ADDress」の淡路島拠点として登録され、リモートワーカーやアドレスホッパーなど、さまざまな利用者が滞在する家になっています。

「主人はいま、鳥飼にある中古物件を貸別荘にするためにDIYで改装しています。最近は中古物件の値段が高くなっているので、古民家投資はこれで終わりかな…?これからはこの2軒を大事に育てていけたら良いなと思いますね。古民家再生事業のことはほとんど主人に任せているので、私はデザインの仕事をしたり、淡路島に移住されてきたアーティストさんのアシスタントをしながら、子育てを楽しんでいます」

新居に選んだのは、1年かけて探した洲本市五色町にある中古物件

慶野松原の家を離れた黒川一家は、洲本市の閑静な住宅地へと引っ越し、新たな土地での新鮮な日々を過ごされています。

 

移住から3年半、いまの思いとこれからの夢

淡路島での新たな暮らしと第一子の出産、そしてゲストハウスをつくるという夢の実現…。3年半の間にライフスタイルが大きく変化した黒川さんですが、「暮らし」に対する熱量はいまも変わらないようで、今後は古民家の廃材を再生する場を作りたいと夢を語ります。

慶野松原の家をDIYしていたころの黒川さん

「これからは淡路島の古民家から出てくる古材や建具をレスキューして、DIYの材料として販売したり譲ったりする事業に挑戦してみたいと思っています。淡路島には空いている倉庫もたくさんあるので、そういうところを拠点にして、DIYをしたい人に提供できる場づくりをしてみたいです」

自身のDIYの経験から、新たに生まれた目標。これまでも全ての「やってみたい」に挑戦し、新たな道を切り開いてきた黒川さんですが、その姿からは憧れを憧れのままで終わらせることなく、きちんと経験してみることの大切さを感じさせられます。

そんなクリエイティブな黒川さんから発せられる子育て論も、うなずくことばかり。

黒川さんと娘さん

「子供には受け身にならないようにして欲しいと思っています。子供の時期っていちばん思考が柔らかいから、何でも自由に発想ができるはずだと思うんですよね。娘のチャンスを狭めないように、いろんなことをさせてあげたいです。淡路島の自然にたくさん触れさせて、発想力が豊かな子に育ってくれたら嬉しいですね…」

風のようでもあり、水が流れるようでもある黒川さんの人生観。どこまでも自然体で、移住や人生において大切なポイントがたっぷりとつまった取材でした。

取材日:2021年10月26日

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