脱サラして農家へ転身
3ヶ月で叶えた超スピード移住
当時、東京で食品開発の仕事をしていた雄太さんと、八百屋で働いていた咲さんが移住を考え始めたのは2016年のこと。雄太さんが仕事を辞める決意をした際、咲さんが「農業をしよう」と提案したことがきっかけでした。
雄太さんのご両親が関西出身だったことや、過去に大阪で6年間暮らした経験から関西に焦点を当てた二人は、“温かい地域”ということを条件に加え、瀬戸内海に候補先を絞ります。
「お互いに寒さが苦手なので、移住先はなるべく雪が降らないことが条件でした。関西でも、瀬戸内海が温かいイメージだったので、まずは瀬戸内海を中心に、ぐるっと探してみることにしました」
同年10月、東京の有楽町で開催された移住イベント「ふるさと回帰フェア」に参加した二人は、洲本市のブースで出会った市職員の話しやすく良心的な対応に好感を抱き、淡路島に興味を持つように。その後も「あわじ暮らし総合相談窓口」の特別面談に参加し、2017年1月に淡路島へ移住します。
「ふるさと回帰フェア」では、当時の地域おこし協力隊(女性隊員)が、新規就農を推進しているチラシを見たことも後押しになりました。それから協力隊の仕事を紹介してもらい、特別面談では農業研修を受け入れてくれる農家さんと繋いでいただき、帰るころには“淡路島に行こう”と気持ちが固まっていました」
“本当は1年くらいかけて決める予定が、一発目で決まりました(笑)”
そう話す三崎夫妻の超スピード移住は、こうしてスタートしたのです。
有畜複合農家を目指して…
地域おこし協力隊と農業研修の日々
移住して間もなく、雄太さんは地域おこし協力隊として、また咲さんは特別面談で紹介を受けた「花岡農恵園」と「淡路島西洋野菜園」の研修生として農業を学ぶ日々がはじまりました。
協力隊の雄太さんは「就農支援」・「鳥獣害対策防止事業」・「域学連携事業支援」の3つのミッションを遂行するべく、地域のために奔走。
「すぐに農業で生計を立てられるとは思わなかったので、奥さんが研修に通う間、ある程度の収入を得られるよう協力隊の仕事を選びました。卒隊後は夫婦で農家になることを上司に伝えていたので、協力隊在籍中に、僕自身も農業を学ばせてもらう機会をいただきました」
一方、咲さんは2カ所で農業研修を行いながら、隔週で養鶏の研修にも参加。
「養鶏もずっとやりたかったので、最初は養鶏と並走してできる農業の形態を模索していました。端から端まで学ぶことは大事だと思ったので、当時、有機農家として突出していたお二人の元で学ぶことにしました」
それから同年7月には耕作放棄地を開拓し、自分たちの畑づくりを開始。
農家になる上で、二人が目指していたことは二つ。食料自給率が100%を超えている淡路島で、可能な限り島の副産物を利用した自家配合飼料で鶏を平飼いすること。そして、その堆肥を利用した無農薬野菜を栽培する循環型の“有畜複合農家”を目指して、2018年に「島ノ環ファーム」は誕生しました。
大切なことを気付かせてくれた
「集落入り」と「古民家暮らし」
農家になるため、二人で選んだ五色地域での暮らし。アパート暮らしをしていた最初の1年半は、それほどギャップを感じることなく生活を送ってきた二人でしたが、はじめて「地域ごと」が見えるようになったのは、古民家へ越してきてからでした。
「購入したときは築48年で、不動産屋からも“いままで見てきた古民家の中でベスト5に入るくらい状態が良い”と言われるほど、古民家としては稀に見る優良物件でした。なので僕たちはたまたま運が良かっただけなので、古民家を探されている方には“あまり参考にしないでください”と伝えるようにしています(笑)」
はじめての古民家暮らしは快適そのものでしたが、戸建て暮らしに付きものの“地域付き合い”という点では、発見の日々でした。まず驚いたのは、都会よりも高い町内会費や集落費。
「ここは特に人口の少ない集落なので、年間1万5千円の集落費がかかります。田舎暮らしで収入が減る中、集落費が増えることは盲点でした。都会にいたころ、町内会費は300円だったし、そもそも賃貸であれば管理費に含まれるものだったので驚きました。これは今後、ここに人を増やさなければいけないという集落の課題でもありますよね」
また他にも、集落に入ることで見える景色についても気付いたことがあるそうです。
「ここへ来てから道や水路、周りの景観を維持し守っているのは、農家さんや集落の“人”なんだと気付きました。都会にいたころは身の周りの環境が全て整っていて当たり前だったけど、自分たちが“いいな”と思って見ていた風景は全部、その地域の人たちみんなで管理してきたものだったんですよね」
集落の人達にとって、地域清掃や草刈り、畑の水路確保は日常であり当たり前のこと。それが巡り繰り替えされてきたからこそ、いまも「地域」が存在し、私たちの生活があるのでしょう。
“それまでは自分のやりたいことばかり考えてきたけど、ここへ来て地域を維持することの大切さを学びました”
地域に入るということは、その地域を守り維持する責任が伴うということ。次の世代へ繋いでいくためにも、田舎暮らしには欠かせない大事なことなのです。
夢は子供に誇れる農家であること
そして、地域のみらいを創る
現在、2歳になる息子さんと三人で暮らす三崎一家。子供が生まれたことで芽生えた意識の変化もあるそうです。
「農家としてまだまだ頑張らなければいけない状況なので、いまはほぼ休みがない状態だけど、親の仕事に嫌なイメージを持ってほしくないので、これからは走り続ける農家ではなく、休める農家でありたいと思っています。子供に農家を継いでほしい、淡路島にずっといてほしいとは思わないけど、“楽しそうだったな”、“こういう仕事もあるんだな”と思ってもらえるように、親として常に余裕は持っておきたいです。そのためにももっと子供と触れ合う時間を取っていきたいです」
農家としては今後、品種を増やすよりも島ノ環ファームの主力商品となる品目作りに力を入れていくそうです。
また三崎一家が住む宇谷地域では、今後10年以内に人を増やしていく取り組みとして、移住者と地域住民が集い「宇谷のみらいを創る会」を発足。昨年から移住者を受け入れる体制づくりと、原風景を守るための活動を推進しています。
「地域に人が一人入るって、すごいエネルギーを生むことなんです。その一世帯を、少しづつ増やしていきたいです」
しかしその強い想いがある一方で、問題視されているのが住居不足の問題。空き家があるにも関わらず、物件として流通しない現状は、島全体を通しても深刻な問題です。移住希望者が増えているいま、スピードを上げて取り組むべき問題と言えるでしょう。
“何をしたいか”だけでなく“何をしないか”…
起業に必要なのは、ブレない信念
今年で移住5年目を迎えた三崎夫妻。コロナという局面も迎え、島暮らしの魅力も再発見したそうです。
「この一年、コロナ禍でも生活を全く変えずに続けられていることは本当に幸せなことだと思います。車生活の強みとして、都会よりも密にならず会いに行ける人との距離感も、とても心地がいいです」
子育てに関しても、服やおもちゃはご近所間で譲り合うことが多いようで、“子育ての相談も都会よりしやすい”と咲さんは話します。ここ数年は同世代の移住者も増え、五色地域の移住者の輪が大きく広がりつつあるようです。
「移住者のみなさんはそれぞれとてもいい感性をお持ちなので、私たちも常に刺激をもらっています。最近は同世代の方が農業研修に来ていることも増えたし、そういう人たちが集まりやすい地域なのかなと思います」
その一方で、“人間関係が面倒だから”という理由で農業に興味を持つ人が増えているのも事実。
「正直、そういう考え方では農業は難しいと思います。農業は人との関わりで成り立つものだし、お互いに助け合うという意味でも人付き合いは大切なこと。とはいえ、何もかも“付き合いだから”と思うとしんどくなるので、それを楽しめるかどうかだと思います。それに、ふわっとしたイメージだけで農業はやっていけません。農業をしたい人は、具体的なビジョンをしっかり持って取り組んだ方がいいと思います」
“悩むことがあっても、自分は何をしたいかだけではなく、何をしないかを決めてブレない信念を持つことが大事”
コロナ禍で個々の暮らしが問われる時代に入ったいま、強く生きていくためにはいざというときに立ち返り、自身の支えや希望となる「志」を持つことがなにより大切な事なのかもしれません。農業に限らず、地域の在り方や田舎暮らしの心得を教えてもらう、三崎夫妻の取材でした。
取材日:2021年06月26日